Q.子供が学校に行かないのですが・・
子供さんが不登校になった、とお母さんがスピカにご相談にいらっしゃいます。
子供が学校に行かなく(行けなく)なっちゃったんです・・・
もう1カ月になります。
あら、まあ・・・
わたし、櫻井みわが中学高校と不登校だったことを、プロフィールから確認されるようです。
あまりに同じ質問を受けるので、夏休み明けも近いことですし、
お役に立てれば幸いです。
との意味合いで、わたしの黒歴史(笑)をオープンにすることにしました。
親御さんたちから頂いた質問に対して、30数年前に不登校だった櫻井はどうだったのか、今の社会状況はどう映るか、ということを書こうと思いました。
※櫻井は、父母ともに教員免許を持つ教育熱心な両親に、厳格な躾をされて育ちました。すべての不登校の子供さんに当てはまるわけではないことを予めお断りいたします。
不登校とは何か?
「不登校児童生徒」とは「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」と定義しています。(引用:文部科学省統計情報 令和2年度)
30日以上、病気や経済的な理由がなく、学校を欠席したら不登校と認定されるんですね。
文部科学省が2021年10月に発表した「令和2年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、小・中学校における不登校の児童生徒数は19万6,127人と過去最多を記録しました(全児童生徒の2.0%)。
同じ調査によると、不登校児童生徒のうち、90 日以上欠席している児童生徒は、107,771 人。
一旦不登校になると、半数以上が長期化するのですね。
不登校で、どうやって生きていけばいいのか?
不登校だと、うちの子、今後生きていけないんじゃないでしょうか?
生きてはいけます。でも、「いわゆる普通の子」と同じレベルを目指すと、子供さんも、親御さんも、苦しいでしょうね。
学校に行けない、行かない、ということは、「子供は、学校に通うのが当たり前」とされているルール、常識から外れてしまうことです。
98%の圧倒的多数ができているのに、ルールから外れるのはとても怖いことですけどね。
「不登校になった自分は2%の貴重な生徒なんだ」くらいに思えるといいかも・・・
櫻井が不登校になった理由
わたしにとって、中学、高校と、学校に行くということは苦行でした。
親のメンツのために、せっかく合格した第一志望の学校に行かせてもらえず、第4志望の学校に入学を了承させられた、というのがそもそもの原因でした。
殴られて、真冬の夜に、心を入れ替えるようにと家の外に出されたんですよ!
登校するとお腹が張って痛くなる。あまりに辛いので、行かなくなってしまいました。
当時は「登校拒否」と言われていました。
教育者の父親からは、
「お前が登校拒否だから、お父さんは恥ずかしくて仕事ができん!」
と、殴られたりして。
不登校になった事実そのものよりも、親の対応と、そのときに自分を責め続けたことのほうが、自分の人生に暗い影を落とすことになりました。
小学校は自宅から徒歩5分で、制服がありませんでした。中学・高校学校に通う辛さとして、
- 自転車、電車を乗り継いでの長距離登校(片道1時間半)
- 制服着用の義務
- 進学校だったため、成績や進路について中学1年生のときから考えなければならない雰囲気があった
今振り返ってみるに、これも辛かったのではないかと思うのです。
自宅の周りが田んぼという田舎育ちで、都会の人たちに尻込みしたこともありましたが、
- 電車に一本乗り遅れたら、1時限目に20分の遅刻。
- 暑さ、寒さに関係なく、決められた制服を着なければいけない。わたしの母校は靴下、靴、カバン、コートが自由だったので、比較的自由な方だったとは思いますが、それはそれで、お金持ちの同級生に対して嫉妬を感じていました。
- トイレも、休憩時間にみんなが集中する。女子は思春期以降、連れ立ってトイレにいって、髪を梳いたりお喋りするプレッシャーがありますよね。
オトナになって、働くようになって、学生じゃなくなってよかったと思いました。決まった時間にトイレに行かなくてもよくなったことが、大きいです。
お母さんたちから伺って推察するに、現在の学校では、
- スクールカーストの問題
- いじめられず、いじめずの立ち位置の確保が難しい
- 勉強についていけないなど、授業が退屈・苦痛と感じる問題
もあるように思います。
コロナ禍での環境変化もつらい
2020(令和2)年2月から、コロナウィルス(COVID-19)の感染拡大とともに、わたしたちの生活は一変しました。
- 不要不急の外出自粛(そのなかには、帰省、病院や施設に入院中の親族の面会含む)
- マスクの着用義務化(といっていいでしょう)
- (同居家族以外との)マスク無しでの接触禁止
そして、緊急事態宣言発令やクラスターが発生するたびに、
- 子供の登校(登園)自粛
- コロナ陽性者が出たら学級(学校)・職場閉鎖
- (主に母親か女性による)子供や高齢者の自宅ケア強制
が、わたしたちのしんどさに追い打ちをかけた、と櫻井は考えています。
コロナになったら、反社会勢力みたいな扱いだったじゃないですか?
そして、会いたい人に会えないんですよ?
会いたくない人(学校や職場はテレワークにならない場所も多かった)には、会わなきゃいけないのに?
それだったら、最初から学校に行かずに家にいたっていいじゃん・・・
学校に行かずに、どうやって勉強したんですか?
両親に頼んで進研ゼミを2学年分取り、勉強しました。
郵送でテキストが送られてくる進研ゼミの良かった点は、自分のペースで勉強し、郵便で答案を送ることができたところです。
赤ペン先生から、丁寧な解説の入った返事をいただくのも楽しみでした。
シールを集めて、図書券と交換するのも楽しみでしたね。
郵便屋さんが毎日配達で回ってこられる時間になったら、玄関先で待ち構えていました(笑)
あまりに郵便屋さんが好きだったので、郵便局でバイトしたりもしました。
当時の通信教育はZ会と進研ゼミが大手で、郵送でのやりとり主流でしたが、令和の今は、オンラインやフリースクールなど、他のやり方もあるかもしれません。
不登校で、どうやって中学・高校を卒業したんですか?
必要最低限の日数だけ出席して、定期試験だけは受けて、なんとか卒業しました。
全く学校に行けなかった時期は、時々、担任の先生が自宅を訪問され、面談という名目で母や妹を交えておしゃべりしてました。
たまに登校したときは、字のキレイな同級生に頼み込んで、ノートを写させてもらっていました。
当時、快くノートを写させてくれた同級生には、足を向けて寝られませんねえ・・・
家庭科の実習では、放課後、先生が付きっ切りで、実技のパジャマやスカートを縫うのを見てくださいました。
学校には行けなかったけど、親以外の周囲の人に不信感を抱くことが少なかった、というのが大きいです。
同じ学校で不登校になった同級生は、結局、中退しましたものね・・・
不登校の子供さんに一番いいたいこと
学校に行かない、行けない、というのは、
「学校に行きましょう」というルールに対して、自分の頭(心?体?)がノーを言っているだけ
かもしれません。
だから、
たかが「学校に行かない、行けない」というだけで、自分がダメだとか、自信を無くさないでほしいです。
わたしは、未だに集団行動が苦手だし、意味不明な規則、ルールに対して、従順になることができません。
だから、職場の人事考課で「協調性がない」と書かれたこともあります。
でももし、そのルールのほうがおかしかったらどうします?
だから、
自分が判断したことに、不安を感じてもいいけど、自分が間違っているんじゃないかとか思わなくていい。
自分の思いを理解してくれるひと、助けてくれるひとは絶対いるから、人生に絶望しないでほしい。
ひどいいじめにあったなら、自分の命を守るほうが先。そんなところに行かなくてよし。
もし、学校に行きたくない、行こうとしても体が動かない、ということになっても、「きっと人生は何とかなる」。
不登校になった子供さんや親御さんには、投げやりになったり、自暴自棄になることなく、できれば機嫌よく、毎日を過ごしていただきたいと思います。